| 小広王子~熊野本宮大社・大斎原(18.3km) |
このコースは近露~小広コースとは一転して、熊野古道らしい山道を歩き、草鞋峠、岩神峠、三越(みこし)峠と3つの大きな峠を越えて、本宮の神域である発心門王子に至り、伏拝という丘陵地に広がるのどかな集落を抜けて本宮大社、大斎原に通じる道です。
この間は公共交通が殆ど無く、自分の足だけが頼りの古道ウォーキングになります。
又、小広から発心門に至る道は全く人家の無いところを通り、携帯電話の通じない区間も有りますので、準備を万全にして行く事をお勧めします。 |
トイレ設備 |
起点より
の距離 |
| 小広王子と小広峠 |
中川王子と同じく、江戸期の緑泥片岩の石碑だけが残る王子跡です。
画像では前方が本宮方面で、王子跡は左の階段を数段上がったところに有ります。
此処は峠になっており、狼伝説が残っています。
|
 |
|
起点 |
| 小広峠下のトイレ |
小広峠を一段下ったところに設けられています。
此処を出ますと、蛇形地蔵までありません。
また、小広トンネルを抜けたところのバス停で降りた場合は此処から歩き出すのが良いでしょう。 |
 |
○ |
0.3km |
| 熊瀬川王子 |
小広王子と同一視されtり、あるいはその存在さえ否定されることもある王子ですが、有ったとすればこの当りであろうと言う事のようです。
|
|
|
0.7km |
| 草鞋峠 |
熊瀬川王子から坂を登りきり、42番道標を過ぎて下りにかかる所が草鞋(わらじ)峠です。
昔はうっそうとした森の中を道が通っていた為、山蛭が多くそれが降りかかってくるので「蛭降(ひるふり)峠百八丁」と言われたところでも有ります。
|
 |
|
1.3km |
| 女坂 |
草鞋峠を越えると下りに掛かりますが、この坂を女坂といいます。
この写真はここに一部残る非常に古い造りの石畳です。
石の広い面を上にして敷くのではなく、縦にして打ち込んでいる様が見て取れます。
|
 |
|
1.3km |
仲人茶屋跡
|
女坂を下り栃ノ河(とちのごう)(地形図では熊瀬川谷)を渡ると、今度は上り坂が現れますがこの坂を男坂と呼び、この下り登りの急な坂をあわせて女夫坂(めおとさか)と呼びます。
この為、明治初年頃までここに有った茶屋を仲人(なこうど)茶屋と名づけられていて江戸期の文人などの注意を引いたと伝えられています。
写真は茶屋跡です。
|
 |
|
1.8km |
| 男坂 |
岩神峠に登る坂です。
この道は明治初年頃からは少し南の岩上峠に新道が開かれて廃道となっていました。
途中では三体月伝説の高尾山(943.5m)を望むことができます。 |
 |
|
1.8km |
| 岩神王子 |
きつい男坂を登りきり、堀割状になった所が岩神峠で、ここに有り、平安期1109年の藤原宗忠の記にこの王子の名が見えます。その時たまたまここに地方から熊野詣に来て動けなくなっている盲人に食べ物を分け与えたことも記されており、当時から一般の人も熊野詣の事実があったことがわかります。 |
 |
|
2.9km |
| おぎん地蔵 |
その昔のお話です、京都の芸妓で、店で知り合い好きになり将来を誓い合った、このすぐ先の湯川の男性を慕い、約束の日よりも早くここを通りかかった為に、盗賊に殺されてしまいました。
これを悼んで立てられたお地蔵さんです。
これには他にも違うストーリーが有り、昔の伝承の面白さを垣間見ることができます。
|
|
|
4.5km |
| 蛇形地蔵 |
蛇のうろこ状のものが浮き出ているのでこう呼ばれます。
今も遠方からのお参りも有り、広く信仰されています。
|
|
○ |
5.3km |
| 湯川家の墓所 |
始祖は甲斐武田から来たと言われ、この道湯川で宿場などで力をなし、後に御坊に進出し、紀南の雄となる湯川氏発祥の地でした。
その墓所が古道のそばを流れる谷の対岸の小高い丘に今も祀られています。 |
 |
|
5.5km |
| 湯川王子 |
昭和38年に廃村になた道湯川集落の産土神でしたが、明治末期に10kmも離れた人足上がりの神官の居る急ごしらえの神社に強制合祀(この部分は南方熊楠の書による)されましたが、土地の人々は残った社殿を守り、祭祀を続けて来たといいます。
|
 |
△ |
5.7km |
| 三越峠 |
奥熊野と口熊野(くちくまの)の境で、平成の合併以前は西と東の牟婁郡の境でも有りましたが、今は同じ田辺市に属しています。
今は、舗装された林道が通り昔の様を偲ぶ事はできませんが、近世には関所が設けられ、近代半ばまでは茶店も軒を連ねていたといわれます。 |
 |
○ |
6.5km |
| 要害森山 |
発心門方面から望むこの山は秀峰と呼ぶに相応しい形をしており、湯川氏の砦跡とも言われ、「舟のさこ」と呼ばれる空堀が残るといわれています。
三越峠からは登り20分、下り10分で779mの頂上に立てる手軽さですので、古道歩きに時間が有ればピークハントも欲張ってみては如何でしょうか。
画像はピークから南を望んだところです。 |
 |
|
番外 |
| 音無川 |
古来、神域を流れ下り、大斎原(明治22年の大水害で流失するまではここに本宮大社が鎮座していました)で、熊野川と合流する聖なる川として広く認識されていました。
熊野道者(熊野詣をする巡礼者)にとってのこの川は最後の精進潔斎の場、いわゆる水垢離の為の神聖な川であったのです。
この小さな川は要害森山を源としており、熊野古道は猪鼻王子までこの河畔に沿って下ります。
|
 |
|
7.0km当りから |
| 赤木越分岐 |
ここから湯ノ峰温泉へ抜ける赤木越が分岐しますが、本来は三越峠から途中の献上を経て、湯ノ峰温泉に至る道が赤木越の古道です。
|
|
○ |
9.5km |
| 船玉神社 |
紀伊の国は 音無川の水上に
立たせたまふは船玉山
船玉十二所大明神
さて東国にいたりては
玉姫稲荷が ・・・・
と幕末、明治にかけてうたわれた端唄「紀伊ノ国」に登場する神社で、船の神様であると言われています。
|
|
|
9.6km |
| 発心門王子 |
ここからが本宮大社の神域と認識され、往古には近くに発心門に擬した鳥居があったと伝えられています。
ここも、現在では復社していますが、明治期に合祀の憂き目に会っています。
建仁元年の御幸記のなかで藤原定家は
此王子の寶前、殊に信心を発す、
紅葉は風に飜り、
寶殿の上四五尺の木は隙間なく生ず。
多は是れ紅葉也り と記しており、
「森林による環境破壊」※により今は偲ぶ事もできない程に、古道沿いの自然林が失われています。
|
 |
少し先に○ |
10.8km |
| エスケープポイント |
ここ発心門王子には日に数便、バスが運行されていますので、此処から出発する事も出来ます。
|
|
|
|
| 水呑王子 |
中世には内水飲王子と記されており、今は石の碑が立つばかりです。
|
|
|
12.5km |
| 三里富士展望地 |
正式には百前森山といい、果無山脈のブナの平から派生し本宮町萩に至る支脈の中間地点に位置する標高782mの山です。
決してこの付近でも高い方の山では有りませんが、熊野街道から見上げると左右対称の秀峰に見えますので、旧三里村に位置していたことから別名「三里富士」と呼ばれ今に至っています。
|
 |
|
14.0km当り |
| 伏拝王子 |
ここへ来ると大斎原(旧社地)が見えて、熊野詣の人々が感動のあまりひれ伏して拝んだと言われている王子ですが、中右記や建仁元年御幸記などには記されておらず、1722年の「熊野道中記」まで待たなければなりません。
春には桜、初夏には緑、秋には果無山脈の紅葉、冬には残り柿の柿色と四季折々の色と、伏拝集落の長閑さをお楽しみ下さい。
画像は初冬の柿の実と三里富士です。
|
 |
○ |
14.4km |
| 三軒茶屋跡 |
高野山から果無峠を越え、八木尾からきた小辺路はここで中辺路と合流します。
|
|
|
15.6km |
| 祓戸王子 |
もうそこに本宮大社が…、と言う所に有ります。
でも、明治24年までは現在地ではなく、大斎原に社殿が有り、此処から更に音無川を渡る事によって最後の禊をしてお参りしたものと思われます。これを「濡れ草鞋の入堂」と言われました。
|
|
|
17.5km |
| 熊野本宮大社 |
明治22年の洪水により流失を免れた上四社本殿などを24年に此処に移されましたが、建造物の規模は以前の八分の一になったと言われます。 |
 |
○ |
17.7km |
| 大斎原 |
日本一の鳥居の立つ旧社地です。
平安後期にはすでに熊野十二所権現が成立しており、京都を出て10日余、仮寝しながら中辺路の難路を歩き、荘厳にして華麗なここをまの当りにした人々の感激は格別だったろうと思えます。
新古今の歌人、藤原定家は後鳥羽院に随行した折の日記、熊野道之間愚記(御幸記)には
祓殿より歩指御前に参る、山川千里を過ぎ、
遂に寶前に奉拝す、感涙禁じ難し
と記されています。
|
 |
|
18.0km |
|
|
|
|
|
※ 「森林による環境破壊」 管理人の造語です。今、人工林は外材や合板におされ価格の低迷、コストの増加、はたまた就業者の高齢化などにより、手入れもされず放置されている所が多くなっています。
放置された、杉、檜の林は密植された上に、枝打ちもされない事により林間や地面に光が入らない為、他の植物も育ちません。
また、杉、檜は殆ど落葉もしませんから地肌が露出状態になります。
そこに年間3000ミリとも4000ミリともいう熊野独特の雨が降ると、土砂が押し流され、同時に土地も痩せてきます。
土砂や落ち葉のない山にはバクテリアの類も少なくなり、連鎖して菌類、昆虫類、小動物、猛禽、も住まなくなり、ますます他の植物や動物を排除してしまうというスパイラルに陥ってしまいます。
そうなる事でさらに保水力が無くなり、少しまとまった雨が降ると洪水、はたまた、暫らく降らないと反対に渇水になるという、私たち人間にとっても住みにくい環境に陥ってしまいます。
でも、遠くから眺めるとそこには鬱蒼とした森林が広がっているのですが・・・ |